** 新・コバッチョ日記+++☆写真・アート・本
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ありました
6×6のネガキャリアありました。
手は加えてません。

6×9のはデラックスタイプでガラス付きです。
上面ナングレアガラスのためニュートンリングはでませんが、
カットが変るたびホコリを除けるのが難儀なため、
6×9以外ではポストカードなど、
枚数焼きだけに使ってたと思います。
ガラス付きで平面性が良く、熱でカーリングしないですからね。

6×9専用ではなく左右に押さえ板があり、
それが移動し6×7にも6×6にもなります。
多分セミ版にも・・・w

20161021.jpg





飛蚊症
ぶんぶんぶんハチが飛ぶ♪
じゃないけれど、虫が跳んでるようです。
目の中やないです。
目はすでに経験済み。
カメラの中です。
オリンパス

20160914.jpg

画像だけだとセンサー上?とも思えるんですが、
カメラ内で黒い物体が飛んでますw
したがってセンサー上ではなくレンズ内ですね。
しかもワイド系では現れず、
35mm換算300ミリ当たりから出ます。
ということは、ゴミの在り処は2段階ズームの
2段目ロケット発射装置あたりか?
画面内でピコピコ動くので、
手振れ補正装置と関係あるのかもしれません。

ま、まだ保証期間内だったので
とりあえず買った店に持って行きました。
保証で直らなかったらどうしましょうねえ?ってことで、
ちょいカメラを物色。

フジのX-Pro2がいいな、と思いました。

K0000845877.jpg

以前、オリンパスのペンFがカッコいいと思ってたけれど、
今日実機を見たらそれは前面だけ。

J0000018322.jpg

上から見た軍艦部は各種ダイヤル類が大きすぎて不恰好ですね。
特にシャッターボタン回りが大きい。

000078425.jpg

000078427.jpg

ダイヤルだけではなくてそれに刻まれてる文字も大きい。
こういった懐かしの名機、
みたいなのを欲しがるのは年寄りが多いだろうから
ダイヤルの文字も大きくしとかな売れませんわなあ・・・w
前面と上面のバランスがとれてないな、と僕には思えました。
それに比べX-Pro2はそれほどカッコイイカメラではないので
そこそこにバランスが取れてます。

K0000845877_0003.jpg

オリンパスもそこに気づいているのか、フジみたく、
上面からのカタログ写真はweb上にはありませんでした。
撮影する時は前からではなく上からカメラを見、
ISOとかシャッタースピードを確認するので、
軍艦部がダサかったら興ざめですw

で、X-Pro2にはレンズは付いてなく、
別に買わなければなりません。
人気の(らしい)XF23にするか、
不人気の(らしい)XF27にするか迷い中。

XF23みたいなレンズは使い飽きたし、
XF27はパンケーキ型なので携帯性もいいし、
なんといってもその焦点距離(27mm)が魅力です。
6×6判換算で75mm。
ローライやんかw



僕はまだいい・・・
今日の地元紙にトップインタビューという記事があり、
高知県の景気は「穏やかに回復しつつある」らしいw
ホントかな?実感ないんだけど。
まぁ、言ってるのが日銀高知支店らしいから、
そりゃ政府が「右向け」言うたら左向くわけにはいきませんw

20160103.jpg

で、その根拠のひとつとして県内の有効求人倍率が
昨秋1.00倍になったことをあげてます。
これは過去最高らしいですが、
実は、昨秋知人がクビ切られまして、
職安通してあちこち面接に行ってるんですよ。
で、彼が言うには職安の募集はひとつもアテにならん、そうな。
募集見て会社訪ねても「募集してません」となる会社が多いとかで、
聞けば「県がしつこく募集出せ出せ言うもんで出している」んだとか(笑)
つまり、募集はしてないんだけど県に逆らってもなあ・・・
ってことで「募集してますよん♪」になってるとこ多数w
なんだよ、これって。
県の担当者は実態知ってるのか?
記者はこういったことを知らずに書いてるのか?
そういうのを取材不足って言うんです。
知ってて書いてたらそりゃ「ヤラセ」加担です。

夫婦二人で産休、育休をとる国会議員さんもいるらしく、
年の瀬、再就職に走り回ってた知人から見れば
なんて幸せなお二人なんでしょう。
うらやましい限りです。

以前、中国人女性作家ユン・チアンさんの
「ワイルド・スワン」という小説を読んだんですが、
作者の父親が中国共産党員で、文化大革命後、
インテリを嫌った毛沢東に地方に飛ばされ
苦労に苦労を重ねる自伝的ノンフィクションです。

例によって、全くといっていいほど内容は覚えていないんですが、
ただひとつ覚えてる箇所があります。それもアヤフヤだけど・・・^^;

作者がまだ幼かった頃、地方に飛ばされ住む家もなく、
農家の納屋とかを借りて住みながら父親は活動するわけですが、
やがて、中央の方から資材なんかが送られて来、
宿舎も建設される運びとなります。

宿舎ができると劣悪な居住環境にあったその地方の
お百姓さん達から順次入っていくわけですが、
あらかた入り、誰がどう見ても次はユンさん一家の番だというのに父親は
「僕たちはまだいいから」
と固辞するばかりで一向に入ろうとしない。
結果、ユンさん達より恵まれた環境にある住民が入り、
ユンさん一家は転勤するまで劣悪な住環境のままであったとか。

「みんなと幸せになるために共産党員になったのだから、
僕の幸せは一番後でいい」

と父親は考えていたようで、指導者たるものこうでなくてはいけませんよね。

国会議員の僕が取ったらみんなも取りやすくなるだろ、じゃなく、
みんなが「育休」を取れるようにするのが僕の使命。
国会議員の育休は最後でいい。
と考えられないのかなあ・・・と、これも年末、考えちゃいました。

ところで、ワイルドスワン読んで、不破哲三はどんな感想を持ったんだろう?
特に、僕が覚えてる箇所w
聞いてみたいですw







正解は別にある
お正月、いかがお過ごしでしょうか?
とは言いましても僕のような自営業は、
土日正月盆暮れなんてまったく関係ありません。
仕事のない日が休みですw
したがって今日は、出勤の子がいないためお休み。

昨日は妻の実家で過ごしました。
妻は三姉妹で、毎年正月にその家族が集まるので賑やかです。
テレビが「恋が愛にかわる」なんて、洒落たことを言うので、
すかさず僕が「でも愛は冷めるんだよね」って言うと大顰蹙。
未婚の甥っ子姪っ子がたくさんいる前でなんだってことですw

で、今日は昨日の自分を反省しながら静かに読書です。
最近は正月くらいですね、ゆっくり本を読めるのは。
いつもは画像処理に追われてますw

20160102.jpg

辺見庸の「1937・イクミナ」です。
独特の文体ですねぇ、辺見庸さんは。

学生時代、本はまぁまぁ読んだけど、
国語の成績は悪かったです。
漢字知らないし、読書感想文なんて苦手だし、
「その時の作者の心境を書け」なんて
問題もよくありましたよねえ。
そんなん分かるわけないじゃないのと思いながらも
教師が「喜びそうな」回答を書いてました。
でも、けっこう合ってましたよ(笑)

こういう問題って正解はひとつなんだろうか?
それともいくつかあって、完璧!とか半分◯とか、
とりあえず△とかあるんでしょうかねえ。
正解も先生の判断なのか、あるいは
作者にちゃんと聞いてたりしてるんでしょうか?
こういった曖昧さが国語の嫌いな理由でしたが、
これが作者の子どもなんかだと一段と有利。
なんのことはない、書いた当人である親に聞いとけばイイ。


で、昨年亡くなった野坂昭如氏の娘さんが小◯生(*)のころ
「火垂るの墓」が試験に出、例のごとく
作者の心境を問う問題があったそうな。

娘さん書きました。
作者である父親に聞いてた通りのことを書きました。
さぞや張り切って書いたことでしょう。
でも、先生の判定は「☓」。
無常にも「☓」。
・・・・・・・・?

娘さんはこう書いてたそうです。

「締め切りに追われて大変だった」。



(*)「小◯生」の◯の中は「学」です。不適切な記事 としてまた跳ねられました(笑)





手軽に、唯一この世に残していけるもの、それが写真
あけましておめでとうございます。

実は私、喪中だったりします。
喪中に限らず、いろんな「しきたり」が
メンドクサイん私なんですが、
いつの時代まで続くんでしょうか。

そういった「しきたり」を重んじる人ほど
サムライなんとかだとか言いながらも
夫婦別姓や同性愛はまかりならんなどと、
明治以降の、新しい「伝統」に
しがみついたりするのがおかしいです。

さて、昨年も何冊かの写真集を
買ったり貰ったりしたのですが、
そんな中で一番良かったのがこの本

20160101.jpg

渡辺克巳さんの「新宿群盗伝伝」。
1982年発行の本なのでもちろん古本。
オークションで手に入れました。

渡辺克巳さんという方は1970年代前後に、
新宿で「流しの写真屋」をしていた方で、
カメラ毎日の年間「アルバム賞」を受賞されて
一躍有名になりました。
1973年のことです。

「流しの写真屋」というのはスタジオは持たず、
カメラとストロボを携え店々を回り、
頼まれれば写真を撮って翌日届ける商売で、
3枚1組200円頂いていたようです。

スナックやゲイバー、ヌードスタジオの従業員が
彼の主なお客さんだったようですが、
この本には他に、新宿に蠢くいろんな人々が写っていて
その「時代」が写ってます。

死にたくなるようなことがあるとき、人間は何かを残しておきたいと思うのだと思う。地位も名誉も、つまり、なんにもない人間に残せるのは、もしかしたら写真ぐらいということになるのではないかと思うのだ。名もなく貧しい、そんな人びとが、手軽に、唯一この世に残していけるもの、それが写真なのだろう。



森山大道の新宿が擦過の美学なら、
渡辺克巳の写真は新宿と正対してるなあ・・・
と、思った去年の暮れ。