** 新・コバッチョ日記+++☆思い出話
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あのカメラ、どうしたでせうね?
今日の高知新聞に、

約2240万円をつぎ込んで高知市が制作した
JR高知駅周辺土地区画整理事業に伴うビデオ映像などが、
十分に活用されることなく「お蔵入り」している。


という記事が載ってました。
業者とは随時契約で、何年間か頼んだらしいのですが

業者さんは儲けて良かったねや・・・

という具合にはいきませんね。
僕なんかも役所をはじめいろんなとこの仕事をするんですが、
努力の成果を生かされないことくらい腹立たしいことはない。
金は貰えてもそんな問題じゃないですよね。
ですからこれを撮影した業者の方も脱力してることでしょう。


南国市の田村遺跡が発掘されたころ写真屋でバイトしてまして、ちょうどその年、バイト先の店が県に写真関係のいろんな物を納入してたんだけどその中に4×5のカメラがありました。4×5のカメラってのはデジタル世代の若い方にはピンとこないかもしれませんが昔、学校なんかのクラス写真撮る時、写真屋さんが黒い布を被ってカメラを覗いたりしてたでしょう?あれです。

いかにもメンドクサソウなあのカメラ、県庁のド素人職員に手におえるシロモノじゃないですよ。なにせフルマニュアルw そのころはオートフォーカスのカメラなんてまだ出てなかったと思いますがライカ判のカメラでピント合わすのとは大違い。構造上画面の右でピントが合ってても左側も合ってるとは限らない。撮影手順を少しでも間違えると写ってないこともしばしば。二重露光なんて日常茶飯事。いわゆる写す前に「儀式」をしなきゃいけないカメラですね。

そんなものを何故に必要としたのか。
ペンタの6×7も同時に購入したからそれで十分なはずだけど、お偉いさんに写真の趣味でもあって、4×5、使ってみたかったのかな?w

知事さん、県のあのカメラ、どうしたでせうね?
ええ、昔、田村遺跡を撮るのに必要とかいって、
県民の税金で買ったあのシノゴのカメラですよ。

知事さん、あれは難しいカメラでしたよ、
僕はあのときすいぶん驚いたものでした、
だって、僕でもまだ使いこなせてはないカメラだったもんだから。


もちろん西条八十のパクリです。



PS:スーパータクマーは良く写りますよ




山水
山水がついに潰れちゃったそうで、
といっても皆さんお世話になってる
ラブホの「山水」ではなく
オーディオメーカーの山水電気。

僕はラブホの山水はできた時から
お世話になってるんだけど、
SANSUIの方もアンプを使ってました。
AU-7500ってやつだけど1973年当時75900円。

au-7500.jpg

今からみるとものすごく高いけど、
しっかりした作りだしブラックフェイスのデザインも良かった。
最上位機種は9500でしたね。
他に8500と6500がありました。

水害で浸かったりしてバリ音が出始め
アキュフェーズの中古が出てたので換えましたが
今でも部屋の片隅に埃をかぶってあります。
ニコンF2もそうだけど、
この当時買ったものはなかなか手放せませんね。
苦労して金貯めたし、愛着がこもってます。

で、ついでに当時の「山水」ですが、
こっちは「ラブホ」ね。
非常に人気のホテルでして、
いつも満室。
そんな時は敷地内で待たせてくれるんですよ。
で、待ってる横はたいがいお風呂。
僕の車にはクーラー(エアコンではないw)なんて
高級な物はついていず、夏だと窓は全開。
なもんでもし風呂に入ってたらいちゃつく声が漏れ聞こえてき、
なかなかいい刺激になりました(笑)

そういやあその頃の山水は24時間風呂でいつもお湯がはってて、
即入れたのも便利やったですね。





生きてたんだ(失礼w)
今朝の高知新聞に、懐かしい方が出てました。
ミッキーさんです。
詳しくは新聞読んでいただくとして、
彼がミッキー号を作ったことは載ってませんでしたね。
それと一緒に全国放送のテレビにも出てたんだけどな。

ミッキー号って、確かカブのエンジン使った
四輪車だったと思うけど、
詳しいことはもう忘れちゃいました。
何せ新聞の彼、面影はあるけど街ですれ違っても
きっと気づかないくらい年取ってました。
自分のことは顧みずに言ってますけどw
そんな昔のことです。

彼は昔勤めてた写真屋のお客さんで、
面白い方だったので配達の途中なんかに
ちょくちょく彼の店であるバイク屋さんに寄ってました。
バイク屋の前にはド派手なカウリングや段シートをつけた、
いわゆる「族車」がいっぱい置かれてましたが
そういった「族」の少年たちを
カワイイカワイイといって可愛がってましたね。

新聞の記事からも垣間見えるんだけど、
「疎外された者たち」への彼の眼差しは本当に優しかった。




たまに振り返るのも、いいことだ
連合赤軍の元ナンバー2、永田洋子さんが獄中で亡くなったようです。
彼女が逮捕された1972年は札幌オリンピックが終わったかと思ったら
あさま山荘事件(彼女が逮捕されて2日後)がおこり、
それこそTVにかじりついてましたね。
学校はどうしたんやろ?
行ってたんやろか?忘れちゃいましたw

で、社会派日記は似合わないんで一転しまして、
そのオリンピックのフィギュアスケートで活躍した
ジャネット・リンがメチャクチャ可愛く、
次のオリンピックで彼女を撮るぞ!という
重大な決意をして写真学校に進んだんですが、
肝心なリンちゃんがすぐプロに転向してしまい、
そのショックは大きく、
以来デラシネ(根無し草)のような生活をしてる私です。

では例によってYouTubeをどうぞ。
以前はもっといいのがアップされてたんですが
削除されちゃったようです。



画面上部に入るテロップとか映像が邪魔ですね。
リンちゃんの顔が見えないじゃないのよ。
宮崎美子なんて見たくないってw
龍馬伝の福山雅治どころやないです。
NHKの資料映像を民放が借りて番組制作してるようですが、
NHKに断りもなく文字や映像を被せてるんだったら著作権法違反ですね。
マッド・アマノさん、白川議員に負けました(パロディ事件)から。

で、話題はまたまた一転します。
その、永田洋子さんについて岩下俊三氏が
自身のブログのコメント欄で以下のように書いてます。


そうなんです。事件の是非は、あえて論評したくありません。
でも彼女が一人の小さな女の子であり、近所でたまにすれ違う、
白いシャツをきたどこにでもいそうな女性でしかないということを、
いいたかったんです。

若いときは思わず走りすぎたりするんです。

そしてある角を間違えて反対にまがっただけなんでしょう。

痛ましい人生というだけでなく、人生ってひょっとしたら、
人生そのものが痛ましいものかも知れないのです。



お若いみなさん、
曲がり角、間違えていませんか?
時々振り返ってみましょうね。
自分が選んだ道とはいえ
この世で一番疑わしいのは自分自身ですから。

永田洋子さんのことを考えながら
ネットサーフィンしてたらこんなのがありました。
「革命的オリーブ少女主義者同盟演説」だそうですw
楽しいです。



YouTubeでしたが、ご覧になれない方のために
その名演説のテキストを貼りつけときます。

すべてのオリーブ少女諸君!
われわれは、オリーブの廃刊、
言論弾圧に断固抗議する。

革命的少女雑誌、オリーブは
2003年に歴史的を廃刊を迎え
以降中央指導部を失ったオリーブ細胞は
クウネル、夜カフェ、ロハス等に拡散し、
局地戦の中で乙女ヘゲモニーを奪取し、
その思想性を先鋭化させてきた。

体制順応的乙女精神の再生産を拒絶し
生活実践の中で精神性を主体的に構築してきた
オリーブ・マインドの萌芽は
今確実に芽吹きの時を迎えつつある。

オリーブ少女諸君!
わたしたちはいまこそ、
カフェオレボウルをヘルメットに
アロマキャンドルを火炎瓶に
バケットをゲバ棒として、
オシャレ闘争を全面的に展開しなければならない!

万国のオリーブ少女、団結せよ!


以上です。
勇ましいんですが彼女、別の顔も持ってまして
それはまた後日、早ければ明日にでも



年賀状やめるって本当ですか/ダ・コバチョ
今年も年賀状をいただきました。
女の子からは大概メールで来ますね。
時代も変わったもんです。
郵便局もこりゃ大変だ。

高一高二の冬、
郵便局で文配り(フミクバリ)のバイトをしました。
先輩が16cmの反射赤道儀(天体望遠鏡)を
譲ってくれるというのでその資金作りでしたが、
なかなか楽しかったですね。

地域を隅から隅まで回るもんで、
暇な年寄りが声を掛けてくる。
コレ食いやアレ食いやとかw

「今日はウチには手紙はないかえ」
とか聞かれて
「ないですよ」
と答えたときの寂しそうな顔とか見ると
こちらも少し辛くなりますね。

写真でちょくちょく賞をとってるらしい方もいて、
国際写真なんとかかんとか連盟とかいうところの文書をよく配達しました。
へ~身近にスゴイ人もいたもんだとか思って、
いたらお話伺おうとか思ってたけど結局会えずじまいで、
次の年には転居してました。

で、僕達外勤は夕方5時までに帰ればいいんだけど、
最初の頃は大変です。
一度か二度、本職の方と回るのですが
後は放ったらかしw
ココは誰んち、とか聞いてはいるんだけど
ンなもんとっくに忘れてます。
したがって地図と首っ引きで捜さななりません。
フリーになって最初の3日くらいはよぉやっと
5時前くらいに帰ってましたね。
でも一週間もすると楽なもんです。
あんまり早く帰ってもすることないんで
ブラッブラッして4時くらいに帰ってました。

そこへいくと内勤はシンドイですよ。
一日中缶詰にされて仕分けですし、
なんと、年を超えたら郵便の量が減るもんで仕事が早く済み、
早く帰らされてました。
でも内勤は女の子が多いんで
仲良くなるチャンスだけは外勤よか多いです(笑)

で、待望の給料日。
内勤のヤツラは早く帰らされた日は日給ではなく「時給」。
したがって思ってたより給金が少ない。
同級生の一人が

「募集には日給いくらと書いてあったから
勤め上げたらいくらになると思って僕は応募しましたが
希望してた額より少ないです。
年が開けたら時給になるのならそう明示しておくべきではないですか?
それなら僕は来ませんでした」

てな事言いながら上司に詰め寄ってましたw

しかし郵便局のバイトで一番驚いたのが
どんな字でも読めるじっちゃんの存在です。
たまたま僕と同じ地域の担当だったんですが
パソコンなんて普及してない時代、
宛名は100%手書きです。
中には英語かよ、とか思えるような
ミミズの這ったような字もありました。
そんなのを

「じっちゃんコレどこの誰やろ?」

とか若い局員達が聞いてくるんですよね。

「あ、これはどこそこの誰よね」

全て答えてました。
どうやったらあの字が読めるのか今もって不思議ですが、
じっちゃんの頭の中には自分が担当した
地域の人たちの家族構成が全て入ってるんでしょうね。

20110103.jpg

で、年賀状はたくさんいただいたんですが、
今年は1枚も出してないし返事もしてません。
中には「年賀状やめるって本当ですか?」とか
ダ・カーポみたいな賀状w もあったんだけど、
微妙に私、喪中なんですよ。


ダ・カーポ/結婚するって本当ですか