写真は記録だ、いやいや記憶だ・・・
などと、受け売りを知ったかぶって論じてたのも遠い昔のこと。
そんなこと今はどうでもいいんですが、
つい先日、こりゃ負けたわというのに出会いました。
曰く
「写真は関係の芸術」
その通りですね。
芸術かどうかは別にして、
誰にも否定できないと思います。
語ったのは細江英公。
森山大道のおっしょさんです。
森山自身は「僕の師匠は東松照明」だと思ってるかもしれませんが、
世間的には森山の師匠は岩宮武二と細江英公です。
ま、これこそどうでもいい話なんで先へすすみます。
写真ってどうしても被写体とカメラマンの「関係」が写ってしまいます。
というよりカメラマンの被写体に対する
「思い」が写ってしまうと言ったほうがいいかもしれませんね。
で、昔、篠山紀信が南沙織を撮った写真(GORO←懐かしいw)を見て
「二人はできちゅう」
と看破した野郎がいました。
僕なんか何言ってるんだくらいにしか思わなかったんですが、
後日経過から判断するに友達の言うとおりだったわけです。
その頃から私には「見る目」がなかったんですねえ・・・
悲しいことです w
今回の新聞や雑誌なんかに掲載されてる震災写真にも言えますね。
ただただ悲惨さだけを浮き彫りにしようとしているのか、
被災者に寄り添って撮ろうとしているのか。
で、そういった写真を積極的にたくさん見たわけでもないんですが、
この1枚には感動しました。

週刊ポスト4月1日号巻末カラーグラビアの
トップに配されてたものですが、
手前左に写ってる被災者と思われる方に、
そっと寄り添って撮影したようです。
救援隊がいる場所に、
自分の思いが詰まってるのでしょうか。
それを茫然自失で眺めてるのか、
あるいは夢であってくれたらいいのにと、
まだ、夢から醒めるやらぬ気持ちで見てるのでしょうか?
あそこで暮らした何十年かの月日が、
走馬灯のように彼女の中を巡っているのかもしれません。
そういった諸々のことを、
見る者に考えさせてくれるいい写真だと思います。
長く見つめていると、泣けてきます。
などと、受け売りを知ったかぶって論じてたのも遠い昔のこと。
そんなこと今はどうでもいいんですが、
つい先日、こりゃ負けたわというのに出会いました。
曰く
「写真は関係の芸術」
その通りですね。
芸術かどうかは別にして、
誰にも否定できないと思います。
語ったのは細江英公。
森山大道のおっしょさんです。
森山自身は「僕の師匠は東松照明」だと思ってるかもしれませんが、
世間的には森山の師匠は岩宮武二と細江英公です。
ま、これこそどうでもいい話なんで先へすすみます。
写真ってどうしても被写体とカメラマンの「関係」が写ってしまいます。
というよりカメラマンの被写体に対する
「思い」が写ってしまうと言ったほうがいいかもしれませんね。
で、昔、篠山紀信が南沙織を撮った写真(GORO←懐かしいw)を見て
「二人はできちゅう」
と看破した野郎がいました。
僕なんか何言ってるんだくらいにしか思わなかったんですが、
後日経過から判断するに友達の言うとおりだったわけです。
その頃から私には「見る目」がなかったんですねえ・・・
悲しいことです w
今回の新聞や雑誌なんかに掲載されてる震災写真にも言えますね。
ただただ悲惨さだけを浮き彫りにしようとしているのか、
被災者に寄り添って撮ろうとしているのか。
で、そういった写真を積極的にたくさん見たわけでもないんですが、
この1枚には感動しました。

週刊ポスト4月1日号巻末カラーグラビアの
トップに配されてたものですが、
手前左に写ってる被災者と思われる方に、
そっと寄り添って撮影したようです。
救援隊がいる場所に、
自分の思いが詰まってるのでしょうか。
それを茫然自失で眺めてるのか、
あるいは夢であってくれたらいいのにと、
まだ、夢から醒めるやらぬ気持ちで見てるのでしょうか?
あそこで暮らした何十年かの月日が、
走馬灯のように彼女の中を巡っているのかもしれません。
そういった諸々のことを、
見る者に考えさせてくれるいい写真だと思います。
長く見つめていると、泣けてきます。
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