明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
さて、ここんとこ正月は読書です。
つうか、正月くらいしかゆっくり本読んでませんねw
今年はkindleで著作権が切れ、
無料となった本をダウンロードし読んでました。
その中のひとつ、坂口安吾の
「堕落論」にこんな下りがありました。
昔、四十七士の助命を排して処刑を断行した理由の一つは、彼等が生きながらえて生き恥をさらし折角の名を汚す者が現れてはいけないという老婆心であったそうな。現代の法律にこんな人情は存在しない。
人は変わりますからね。
美しいまま死なせてあげるというのも
当時の「人情」だったんでしょう。
忠臣蔵といえばやっぱこの人です。
新年早々YouTubeですみません。
6分あたりからの
雪を蹴立ててさく、さく、さくさくさく……
「先生!」「おお、蕎麦屋かぁぁぁ!」
は圧巻です。
1965年の紅白だそうで、
去年の紅白はどうだったのかな?
どういうストーリーなのかはコチラで
おかまの姐さんがうまいこと解説してくれてますw
行方不明になってた「少年H」がありました。
県外行ってる子供の部屋の本棚にありました。
僕の愛読書「写真時代」をベッドの布団の下に隠してた息子だけど、
こういった本も読んでたんだねぇ。

なので読み直しました。
「少年H」は、第二次世界大戦数年前から終戦までを、
多感な少年であったHの目から見た自伝的小説なんだけど
その中にこういうシーンが出て来ます。
Hが妹の好子と、両親の故郷広島に神戸から汽車でいくのですが、
その車内での光景です。
しばらくすると、乗客はそれぞれの席の浜側の窓の鎧戸をバタンバタンと降ろしはじめた。海が見える須磨駅から西は、海側の風景を眺めることが禁止されていたからだ。そのことはHもすでに知っていた。しかし、実際にその光景を目にして、「そうか、これが軍機保護法かあ」とハッキリわかった。大人の人たちにとっては、こうすることが”旅の常識”になっているのか、誰からの指示もないのに、いっせいに立ちあがって鎧戸を閉め、自分から目隠しをしたのには驚いた。
「秘密保護法」もこんな法律ですね。
何が「秘密」なのか、聞いても教えてくれないそうですから、
捕まりたくなかったら気を利かし「自衛」する以外にありません。
とっても素敵な世の中が来そうですw
で、過去の日記において、とんでもない間違いをしでかしてました。
その日記では少年Hに関連しこう書いてました。
日本語を横書きで書くとき、
このブログもそうですが今は左から書きますよね。
こうなったのは「戦後」で、戦前は右からだと思ってました。
でもそうではなく、戦前も左から書いてたんだけど
漢字圏の国を支配し、そこの国民に日本語を教えるには
左から書いたのでは都合が悪く(*)、
そのための国策として右から書くようになった・・・
ということはこの小説で知りました。
あきらかにおかしいです(笑)
なんで気づかなかったんだろ?
寝ながら書いてたのかな?w
正しくはこうですね。
日本語を横書きで書くとき、
このブログもそうですが今は左から書きますよね。
こうなったのは「戦後」で、戦前は右からだと思ってました。
でもそうではなく、戦前は確かに右から書いてたんだけど
アジアの国を支配し、そこの国民に日本語を教えるには
日本語にローマ字を添えて書いた方が効率的で、
そのためには右から書いたのでは都合が悪く、
国策として左から書くようになった・・・
ということはこの小説で知りました。
です。
まったく正反対の事書いてました。
なので件の日記は訂正してます。
眠くなったので帰って寝ます。
おやすみなさ〜い。