** 新・コバッチョ日記+++☆姓は幸徳 名は傳次郎
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姓は幸徳 名は傳次郎
地元紙にも写真付きで載ってたんだけど、
去る24日、幸徳秋水の刑死百周年墓前祭があった。
その時、実行委員長・田中全四万十市長の読み上げた
「追悼のことば」が素晴らしい。
高新には掲載されないだろうからここにアップします。
興味のある方は読んでみてください。

+++++ 引用開始 +++++

幸徳秋水刑死百周年墓前祭
追悼のことば

幸徳秋水先生の刑死百周年墓前祭にあたり、謹んで追悼のことばを捧げます。

母なる川四万十川に代表される美しい自然に囲まれ、京都の文化を受け継ぐ人情こまやかな町、中村に生を受けた先生は、明治の世にあって、優れたジャーナリストとして、また自由・平等・博愛を神髄とする思想家として、そして国民大衆の基本的人権の確立をめざす社会主義運動の指導者として活躍をされました。

先生が生きた明治とはどういう時代であったのでしょうか。いま小説「坂の上の雲」がテレビドラマで放映されている中、あらためて問い直されています。

幕末・維新を経て、日本という国家や日本人という国民が形成される途上にあったのが明治であります。欧米諸国に追いつくため目覚ましいスピードで近代化を進めていきました。近代化は文明開化であります。人々は新しい文明を享受する生活に大きく変わりました。しかし、近代化は一方で人々の平穏な暮らしを犠牲に肥大化していく富国強兵、軍事国家への道でもありました。

先生はそういう国家に対して、いち早く警鐘を乱打されました。日露戦争においては、勇気をもって声高く非戦論をこう唱えられました。

「われわれは絶対に戦争を否認する。これを道徳の立場から見れば、おそろしい罪悪である。これを政治の立場から見れば、おそろしい害毒である。これを経済の立場から見れば、おそろしい損失である。社会の正義は、これがために破壊され、万民の利益と幸福とは、これがためにふみにじられる。」

ロシアでもトルストイが同様の主張を行ないました。戦争に公然と反対する主張は世界の歴史上初めてことであり、ともに人類の進歩、英知を示す画期的な出来事でありました。先生が時代の先覚者といわれる所以であります。

しかし、先生の訴えられる非戦平和、自由平等の思想の広がりを恐れた明治政府は、世にいう大逆事件をつくりあげ、先生はその犠牲者として、東京市ヶ谷刑場で悲しくも露と消えられました。

あの憎むべき弾圧事件がなく、先生が天寿をまっとうされていたとすれば、その後の日本の歴史が大きく変わっていたであろうことを思う時、悔やみても余りあるものがあります。

先生は死刑宣告をされたあと、「事ここに至っては何をかいわんやです。また、いおうとしても、いうべき自由がないのです。思うに、百年ののち、だれか私に代わっていってくれる者があるだろう」との言葉を残されています。

先生、今日その百年の日を迎えました。
先生亡きあと、日本は軍事国家の道をひた走り、先生が予想をされた通り、ついにアメリカと開戦。国は焼土と化し、国民は塗炭の苦しみを味わいました。

しかし、先生の主張はこの間も地下水となって脈々として受け継がれ、戦後の日本国憲法として花開きました。戦争放棄をうたった世界に誇る平和憲法であります。男女平等も実現し、基本的人権が保障されています。

いま元号では大正、昭和を経て平成の時代になっています。中村町は、その後中村市、そして6年前、四万十市となり、今日の日にあわせるように今月新庁舎が落成しました。

西暦1983年には、先生の絶筆となりました漢詩を刻んだ記念碑を中村の町が一望できる為松公園に建立しております。

20世紀最後の年の西暦2000年には、中村市議会は先生の名誉を回復し、偉業を讃える「幸徳秋水を顕彰する決議」を全会一致で行ないました。

今年は、先生の刑死百周年の記念すべき年にあたり、私たちは先生と同じ歴史や風土、文化を受け継ぐ者として、あらためて先生の業績や思想を年間を通して論じあい、学びあってまいりたいと考えております。

いまの日本や世界の現実をみると、先生の求められた真の自由・平等・博愛の世界にはまだ道半ばかもしれません。

四万十市では、このほど世界に向けて、四万十市非核平和都市宣言を発しました。先生の志を受け継ぎ、先生の望まれた自由・平等・博愛の世界の実現に向けて取り組んでまいることをお誓いし、最後にその決意を込め、ここに宣言文を朗読して、先生へのご報告と追悼のことばにさせていただきます。

 四万十市非核平和都市宣言
 私たちの願いは 全世界が平和であること
 すべてのひとが幸せであること
 私たちはこの地球上からなくしたい
 憎しみを生む暴力を 命を奪う戦争を
 すべてを破壊する核兵器を
 二度と繰り返さない
 ヒロシマ・ナガサキの悲惨な歴史
 私たちは誓う 核のない平和な未来
 四万十市民はこの思いを世界に訴え
 非核平和都市を宣言する

 2011年1月24日
 幸徳秋水刑死百周年記念事業実行委員会
       委員長   田中 全

+++++ 引用終了 +++++



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