** 新・コバッチョ日記+++☆俳句を英訳する場合・・・
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俳句を英訳する場合・・・
「イル・ポスティーノ」を見ました。
詩人パブロ・ネルーダと、彼の亡命先、イタリアの小島でネルーダ専用郵便配達人として雇われたマリオの友情物語です。この映画、高知ではメジャールートに乗らず、自主上映グループの手によって何年か前に1日だけ公開されました。その時見てたんですがけっこう忘れてました。主役が最後に死んでるなんて、頭の片隅にも残ってなかったです。

残ってたのは「メタファ」の言葉だけ。
比喩ですね。

「君の微笑は蝶のように顔に広がる」

とかいう「たとえ」の事です。

マリオが島一番の美人ベアトリーチェに恋をするんですが、
その際ネルーダからもらった本の詩を引用しラブレターを書きます。
それを知ったネルーダが

「本はあげたが盗作は許してない。
マチルデ(ネルーダの彼女)に書いた詩をベアトリーチェに捧げた」

と批難します。
ところがマリオは

「詩は書いた人間のものではない。必要な人間のものだ」

と反論。
これには共産党員であるネルーダは

「とても民主的で立派な考え方だ」

と、笑って許すしかなかった。
こういったあたりのセンスが僕は好きですね。

また、映画のはじめ、
詩というものがまったく分からなかったマリオが、
ネルーダの詩を彼に訪ねます。

「理髪店の匂いに私は涙にむせぶ・・・何故です?」

これに対しネルーダはこう答えます。

「詩は、説明したら陳腐になる。
どんな説明よりも、詩が示す情感を体験することだ。
詩を感じようとすればできる」

絵でも写真でもそうですよね。
好きな写真の、この写真のどこがいいのだ?と聞かれても答えられない。
あなたに「イイ」と感じられないのであれば、それだけの事です。
というしかありません。

ネルーダの詩集、大島博光訳のを持ってます。
この訳が、いいのか悪いのか、
はたまた忠実に訳してるのかどうだかは僕には分かりません。
でも、まあ、満足してます。

で、「訳」の事を考えてたらふとした「疑問」が生じました。
日本語で書いた詩なども当然外国語訳で出版されているんですが、
俳句や短歌はどうするんでしょうね?
独特の字数制限があるでしょ?
五・七・五とか。
外国語に訳す時はそれはもう関係なくなるのでしょうか?
また、外国人の方が自国語で俳句や短歌を書いた場合、
やはり字数制限ってあるのでしょうか?

たとえば日本語なら

シアワセナヒビですが

英語なら
Happy Days

になっちゃって(ハッピーデイズが正確がどうか知りませんけど)
字余りとなります。
この辺、どうなんでしょう?


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